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特別寄稿シリーズ編 第2編入院生活

其の1…手術前
入院1日目(4月30日)、入院の日だ。AM5:30に目が覚めた。暫く離れる、客間の小庭園、四季彩、玄関の竹林椿園を見て回った。家の周りも掃除した。全て準備は整った。妻の愛車で、入院11時の予定に、9時30分に乗り込んだ。午後、第二の神様、Dr佛淵の自信たっぷりの説明を聞いた。隣には、可愛い主治医、Dr永島が目をパチクリさせて、甲斐甲斐しく働いていた。神様の発する霊気だろうか。他の医療機関では味わった事のない雰囲気だ。其の後、二人の美人の看護師からオリエンテーリングを受けた。夕方、紅葉亭のご夫婦が熊本の帰りに見舞ってくれた。良く気配りの出来る人たちだ。緊張した我が輩の顔を初めて見たそうだ。何時も締まりの無い顔なのだろう。脚を1本切られるのだ。緊張せずにいられるものか。我が輩の著者「我が輩はレオである」は、大変良い出来栄えだった、と評論家は喜ばせて、帰っていった。少しでも気をほぐしてやりたい、との気配りだろう。夜は、悩み多き?看護師淳二君の尋問を受けた。我が輩の全体的な人格像を掴む目的らしい。我が輩が世捨て人のせいか、全く違う部類に属するらしい。言いたい事をいう人が、少ないのだろうか。我が輩はこれが普通と思っているが、頭を捻って、彼の弁であった。我が輩は捕われの身であることを忘れていた。

2日目(5月1日)、4時30分に目覚めた。
昨夜PM9:30に寝たせいだ。何時も12時過ぎに寝る、我が輩にとっては永い地獄の夜の始まりだ。対策をねらねば、今日は、新人の可愛いゆかり君が世話してくれた。いい子だ。耳からの採血も知美君の指導で何とか出来るようになった。我が輩は恨みを込めて、力一杯押せ、と命じた。4回程やり直したが、遂に成功。優しく見守ってやろう。中々、いい先輩後輩だ。微笑ましい。同室のU氏が右人工股関節置換術をうけた。10時ベッドに戻り、夜は座って食べている。経過は良いらしい。彼の経過を観察し、我が輩の予後のモデルにしよう。夜、主治医Dr永島が、明日の留守に備え、肺活量、アレルギーテスト、と尋問をした。

3日目(5月2日)、AM7:45教授の朝の散歩だ。これが有名な佛さまの散歩か。AM9:00学生雅子君が教育訓練の為、我が輩を模擬担当。千葉大卒、医局を佐賀医大に選んだそうだ。それ程有名になっているのだ。優しい子だ。希望は循環器内科だそうだ。性格的にも内科向きだ。我が輩は医療に携る者、ハートが大事だと力説していた。教授は昼の散歩もするらしい。一人でぶらりとやってきた。我が輩の脳裏には、田宮次
郎出演の白い巨塔が鮮明に焼き付いている。ドラマであり、また、時代も代わっているが、少しは重ね合わせられるところが、残っていてもいい筈だ。しかし、全く無い。他の大学でも見られない事だ。朝の散歩も趣が違う。教授の持ち味だろう。若いDrも、伸び伸び、活き活きしている。ついでに、術後のことも、纏めて記して置くが、主治医は自分の作品の出来栄えを、誇らしげに教授に申告する。しかし、教授は作品の経過観察は主治医以上にしているのだ、1日3回の散歩で。一歩先の指示が出るのが常だ。勿論、看護師の教育も行き届いている。そして、実に良く働く。素晴らしい。PM3:00レントゲン撮影。夜、主治医Dr永島による術前の足の測定だ。我が輩の極端に短い足を、何回も丁寧に測ってくれた。太さも左患者が、膝上10㎝で6㎝小さい。何と短い足だ。と言いたげだった。Drも長いとも思えませぬぞ。細いだけで。しかし、小粒ながら均整がとれ、パンツ姿も中々のものですぞ。

4日目(5月3日)、我が輩も西病棟の様子が少しは解ってきた。ここで、特殊学級、股関節教室の生徒の話をしておこう。食堂に 集まる9割は、この教室の生徒だ。まるで、修学旅行だ。大変賑やかである。大手術後とは思えぬ。魔術師のメスに酔いしれているのだ。クランケの増える秘密はここにあるのだ。皆が、口々に宣伝合戦を繰り広げる。我が輩も宣伝隊のメンバーに登録しよう。長崎県の隊長に。連絡事務所を開設しよう、「迷える羔」の方は我が輩に連絡されたし。迷った時、手術を受けた人から話を聞きたいものだ。我が輩もそうであった。しかし、叶わなかった。
ついでに、九州連絡網も整備しよう。
3F西病棟は、70㎝の廊下の両サイドに16戸の巣がある。食堂にエサが準備されると、這い出したピンクのカニ、青いカニの大移動が始まる。車椅子を連ねて猛スピードで突っ走るのだ。交通整理が必要だ。松葉杖の傷痍軍人、歩行器にもたれかかった、昔の赤ちゃんも居る。当に身障者の楽園だ。暗い病院の入院生活ではない。全く人間性は損なわれていない。他の病棟の患者さんは、この騒がしさには、テレビも聞こえぬと困惑していたが。今日の朝食は一段と賑やかだ。昨夜、昔のお嬢さまたちの間で、教授の奥さんはどんな人だろう、と話が弾んだそうだ。教授夫人もまだ夢ではないと沸いた。まだまだ、若い。オーディションをしたらどうだろうと。皆さんご存知だろうか。日本の法律は多重婚は許していませんぞ。それとも、夢の世界では許されるのか。不倫ぐらいにしておくべきだ。しかし、誰が不倫を教授する。オスのカニ族には、その素質を持ち合わせた方は、居そうにありませんぞ。何々、経験豊富だから心配御無用だと。ここは病院ですぞ。先ずは、「御足」の完全回復を待つべきでは。教授婦人は、連想するに、超美人、且つ、超大物だろう。この大人物を掌で泳がせるのだから、誰が、猫の首に鈴を、いや、教授に奥さんの写真をもらうか、協議せねばならぬ。

5日目(5月4日)、術前準備の為、外泊。
教室を離れるのが寂しい。帰ったら、まな板の上の鯉だ。

其の2…術後
6日目(5月5日)、後見人、山の神殿を伴い、手術に備えた。

7日目(5月6日)、手術、左人工股関節君の誕生の日だ。まな板の鯉は9匹だそうだ。
零時に目が覚めた。小雨だ。術後の夢を見た。綱引き大会のキャプテンで、大きな声を出し、両足を踏ん張っているではないか。それも鉄の鎖をだ。
AM5:00まで、ウトウトと眠った。
AM6:00検温・血圧測定。AM9:00点滴開始。
AM12:30手術室へ。間もなく夢の世界へ。
程なくして、ジャスト30分。Dr佛淵の声を、我が輩の耳が鮮明な音として捕らえた。何と佛さまがメスを握ってから、全てを終えるま
で、30分とは此れ如何に。驚きの至りである。我が輩はこの顛末を「股関節だより」に投稿せねばと即決した。手術室で、その旨をDr江島に約束していた。気の早い奴だ。手術台の上で、完成した我が輩の股関節君の写真と対面した。中々の出来栄えですね、と口走った。失礼な。魔術師佛さまの作品なるぞ。教授が居なくて良かった。我が輩は、前に、数枚の術後の写真を見ていたのだ。太い人工股関節が細い骨に、今にも壊れそうに刺さっていた。我が輩のは、真ん中にキッチリと鎮座していたからだ。

術後、1日目(5月7日)、昨夜は、筋肉痛で良く眠れなかった。縫合部位は痛くない。腰が痛く、3時間程、横向きに寝た。こんな
に永く横向きに寝るのも珍しい。淳二君の弁。
2日目(5月8日)、AM11:00尿管・患部の管から開放(失血600㏄、術中と合わせて900cc、平均値か)やっと自由の身に。
PM3:20(術後48時間)歩行器に捉まり、初歩行トイレ自立。大腿部、臀部痛い。

3日目(5月9日)、歩行訓練。脚上げ不可。永年かけて、弱らせた作品だ。人様より臀部が削ぎ落ちている。付け加えて置くが、 脚上げが出来たのは、術後20日目だ。退化が分かるであろう。歩行数とは無関係だ。弱いから鍛えていたのですぞ。我が輩より丈夫な御足をお持ちの方が、ベッドでお休みだ。

4日目(5月10日)、患部ガーゼ付替、良好。1階に買物にも行けた。

5日目(5月11日)、トイレ昼夜完全自立。
松葉杖訓練開始。

6日目(5月12日)、松葉杖(片)開始。
横歩きのカニ2匹発見。懸命の努力が涙ぐましい。

7日目(5月13日)、松葉杖(片)。幻の特別室騒動。看護師Mr片山が、朝からベッド移動調整で苦労している。オス族の相部屋を2つから1つにするため、3人特別室に入れないと調整できないのだ。声を掛けられた人は、今更特別室は嫌だと断った。我が輩は見かねて同意した。午後やっと調整が終わった。疲れて休もうかとベッドに腰掛けた途端、相部屋が空きました、今から移動だと云う。其方が頼んで、移したのではないか。我が輩の回路も混乱した。言葉に詰まると、お気を悪くされましたか、と来る。捕われの身であることを痛感。移動作業者に、明日の退院予定者の退出後に移動を進言。駄目だと言う。気まずい思いもせず、双方共、格好が付くのにと思ったが。強行は天の声ありとして置こう。さもなくば、無計画の謗りを受けますぞ。そして、更に移動。移動したばかりの特別室からの我が輩の消失に、担当の看護師さんは、神隠しとか探したらしい。申し訳ない、と謝る。これを皆は、名づけて「幻の特別室」と言い、笑う。
同級生(股関節誕生日5月6日)藤さんが負けじと、ノートに記録を取り、我が輩に無言の挑戦を挑んできた。我が輩より、歩く姿
勢は良い。努力の賜物だ。

8日目(5月14日)、松葉杖(片)

9日目(5月15日)、ステッキ使用開始。
今日から本格筋トレだ。筋肉に正しい歩き方を指導せねばならぬ。AM6:00からPM8:00までは、運動靴を脱がないで筋トレに励む事にした。今日は、4,230歩。

10日目(5月16日)、308号室、略奪騒動勃発。
PM1:00新カニ34才が入居。夫婦で荷物を整理にかかった。突然、宅配便風の男女が来て、テーブル、床頭台を片づけ中の荷物を乗せたまま、運び出した。あっという間だった。この男女二人、言葉も話せないらしい。低賃金の外国労働者か? カニは何が何だか解らず、右往左往している。我が輩は、荷物を取りにきてもらったのかと思った。我が輩も言葉を挟む間もなかった。イラクの略奪の映像と重ね合わせた。この平和な国立病院で起きるなんて。人事ではない。隣の我が輩の物にも手をかけて、有無を言わせず、運び出そうとする。我が輩は仕事中だ。パソコンのケーブルが繋がっている。大事な愛用のパソコンが壊れる。やっとのことで、理由を問うた。何と日本語が話せるではないか。ワックスをかけるのだ。聞いていないのかと強気だ。こっちが悪者みたいだ。カニ族を粗大ゴミとでも思っているのか。何たることだ。我が輩も小学校は出ている。最低の日本語は解る。先に訳を話して、こう
こう云う訳だ。しばらく部屋を出ていてくれ、と言えば、素直に従うのだ。廊下に出て驚いた。70mの廊下の両サイドには、通れない程の運び出した荷物で溢れていた。この男女二人で、これを総て、終わるのに長時間要するだろう。清掃業の彼らの頭の中には、患者の存在は欠片も無い。作業効率のみだ。デイルームには、傷痍軍人、歩行器の赤ちゃん、車椅子の暴走族で溢れていた。何たる事だ。平常血圧の低い、我が輩の瞬間湯沸器にも遂に点火してしまった。次の瞬間、希望の声用紙に「こんな悪い業者は排除すべきだ・順次出来る部屋数ずつ作業させるべきだ。」と「朱書き」していた。「患者の権利の本質は何ぞや」と問いたい。我が輩の挙動を見て、カニ族は拍手喝采だ。皆同じ気持ちだ。我が輩はまだまだ修行が足りぬ。反省。反省。それとも、改革プロジェクトのマネージャーとして、引き抜きの御声が掛かるかも。甘い甘い。これで「善し」とされているのだ。捕われの身で、何たることだ。
入浴許可。今日は、5,320歩。

11日目(5月17日)、治癒最終目標をゴルフラウンドに置く我が輩に、淳二君が西病棟70m往復140m10本の歩行を命じた。テスト合格、所要時間30分。まだ、余裕だ。退院までに1日10,000歩、必達を決めた。挑戦だ。今日は、7,250歩。

12日目(5月18日)、点滴騒ぎ。
311号室の、最近までお嬢さんだったような、上品な奥様が点滴を受けている、どうも、歩行器訓練中に、看護師が目を離した隙に転倒したらしい。看護師さんは、大丈夫だと思ったのにと、悔しがっていた。我が輩も目に入ったので見舞った。ところが、何と原因は我が輩にあり、と、隣人カニ嬢さん曰く。我が輩が11日目で、7,250歩、歩いたと話したから、負けられないと、奮い立ったのだそうだ。何時までも寝てばかりいると「脳味噌が腐りますよ」と言った事を思い出した。言葉を慎まねば。反省。反省。足の長さ測定、患足5mm短い、太さ測定、0.5mm太くなった?。2日の訓練で。Dr、計り間違いでは。今日は、8,180歩。

13日目(5月19日)、カニ族の教授出現(原産、四国愛媛の国)。昼間行方不明の綺麗どころが、夜な夜な、セミナーを開いているらしい。我が輩も覗いてみた。昼間リハビリの特訓を受け、免許皆伝の伝授を暗闇に紛れ、やっていたのだ。理論的だ。流石に弟子達は皆進歩が早い。今日は、8,535歩。

14日目(5月20日)、10,281歩。達成だ。
自宅療養可能だ。
術後15日、22日の退院を要請。許可を獲得。
調整に入る。

15日目(5月21日)、明日の退院に備え、今日は、6,200歩に押さえた。

16日目(5月22日)、晴れて、思い出多い、楽園卒業の日だ。
AM4:00起床、今日1日の計画立案。AM5:30分、留守の栗山久子師長に「お礼の書」をしたためた。早く退院された、股関節ネッ
トワーク会員に名簿を送付。最後の朝食後、先輩、同僚、後輩に挨拶。大変お世話になった、看護師の皆さんに別れを告げた。佛さまは留守だ。Dr永島の脱臼時の紹介状を懐に懐かしの医大を後に、入院生活に終わりを告げた。6月20日再診の日まで、脱臼で再入院せぬ事を肝に銘じ。