
佐賀県杵島郡 | 溝口廣海様 | |
佐賀県唐津市 | 福富須賀子様 | |
佐賀県神埼郡 | 本野為清様 | |
福岡県 | 後藤アタヱ様 | |
福岡県柳川市 | 託摩利治様 | |
福岡県太宰府市 | 有吉亜紀子様 | |
福岡県福岡市 | 安田京子様 | |
福岡県大野城市 | 山内美代子様 | |
福岡県宗像市 | 村尾美代子様 | |
長崎県佐世保市 | 釜田トシ子様 | |
宮崎県 | 川崎栄美子様 | |
東京都 | 勝亦昌子様 | |
千葉県 | 宮崎きみ子様 | |
防府市 | 今井淳子様 |
新しい誕生日を頂いて M・K様
私の妻は3年前に佐賀医大において、股関節両足の置き換え手術を受けた。術後は大袈裟ではなく生まれ変わったよう
な人生を毎日楽しく、感謝し、有意義に暮らしている。まさに新しい誕生日を頂いたのである。
それはある日、私が夕刊を見ていて何となく視線を向けた先は股関節の文字から始まった。記事によると多くの方 が悩んでいる股関節の手術等と佐賀医大及びその変わった名前の先生の診療内容が記されていた。即これだと私は思った。
夕刻では有ったがその場で佐賀医大に電話を入れた。どなたか解らないが電話の対応はとても親切でそれだけで佐賀医大全体の雰囲気が理解できるようであった。
東京から九州、佐賀まで診療に行くことは大変なことでもあるが、距離は関係なかった。電話で大まかな内容をお話して診療日の予約をその場でした。とても柔らかなほのぼのと、しかも的確な対応で事細かにこちらの状況を踏まえて処理いただいた。妻は横で半信半疑な顔をして私を見ていた。
多分、東京でも沢山の病院があるのに佐賀まで行くなんてと、思ったに違いない。しかし私は確信した。新聞の記事の内容、それに病院での電話対応だけでもいい病院だという事を。
数日後、妻と二人で飛行機に乗った。診察室に入りあの変わった名前の先生が目の前に実際に診察して頂いている。それだけでもとても有難い感謝の気持ちになった。矢張り私の思ったとおりの人だ。その場で妻の合意を得るまもなく私は先生に手術を依頼した。
入院、手術まで3約ヶ月待った。その間、妻は伝え歩き状態になり、もうすぐだから倒れたり、転んだりしないでくれと思った。
そして入院する日を迎え妻の不安な顔を見ながら病院に入った。入院手続きから検査、病室までの案内も心優しい人ばかりでいつしか妻の不安顔は消えていた。私も安心して一時東京の自宅に帰り、数日後、再び私一人で手術当日に病院へ入った。数日で妻は、先生・担当医・看護の方・同病棟の患者さんと仲良くなっていて驚いた。多分そのような事が自然におこる雰囲気が有るのだろう。
手術室に入る妻に数人の方が頑張ってと声をかけてくれた。冗談も出るほど妻はリラックスしていた。(本当は少し緊張していた筈だが)手術室に入って約分、私はその前で待っていた。何か声が聞こえたと思ったら先生が出てこられた。手術は終わったのだ。声をかける間も無く先生は、手術室を後にした。その表情を私は広い廊下の端から確実に捉えた。穏やかな表情の中に確信のある表情とうっすらと浮かべた優しい笑顔を。
その時、私の妻は新しい誕生日を頂いた。佐賀医大病院・変わった名前の先生・こころ優しいスタッフ・同病棟の皆さんから。冒頭に述べた両足の手術を終え、リハビリも済んで目出度くいざ退院の日、妻は言ったもう少しここに居たいと。
それはある日、私が夕刊を見ていて何となく視線を向けた先は股関節の文字から始まった。記事によると多くの方 が悩んでいる股関節の手術等と佐賀医大及びその変わった名前の先生の診療内容が記されていた。即これだと私は思った。
夕刻では有ったがその場で佐賀医大に電話を入れた。どなたか解らないが電話の対応はとても親切でそれだけで佐賀医大全体の雰囲気が理解できるようであった。
東京から九州、佐賀まで診療に行くことは大変なことでもあるが、距離は関係なかった。電話で大まかな内容をお話して診療日の予約をその場でした。とても柔らかなほのぼのと、しかも的確な対応で事細かにこちらの状況を踏まえて処理いただいた。妻は横で半信半疑な顔をして私を見ていた。
多分、東京でも沢山の病院があるのに佐賀まで行くなんてと、思ったに違いない。しかし私は確信した。新聞の記事の内容、それに病院での電話対応だけでもいい病院だという事を。
数日後、妻と二人で飛行機に乗った。診察室に入りあの変わった名前の先生が目の前に実際に診察して頂いている。それだけでもとても有難い感謝の気持ちになった。矢張り私の思ったとおりの人だ。その場で妻の合意を得るまもなく私は先生に手術を依頼した。
入院、手術まで3約ヶ月待った。その間、妻は伝え歩き状態になり、もうすぐだから倒れたり、転んだりしないでくれと思った。
そして入院する日を迎え妻の不安な顔を見ながら病院に入った。入院手続きから検査、病室までの案内も心優しい人ばかりでいつしか妻の不安顔は消えていた。私も安心して一時東京の自宅に帰り、数日後、再び私一人で手術当日に病院へ入った。数日で妻は、先生・担当医・看護の方・同病棟の患者さんと仲良くなっていて驚いた。多分そのような事が自然におこる雰囲気が有るのだろう。
手術室に入る妻に数人の方が頑張ってと声をかけてくれた。冗談も出るほど妻はリラックスしていた。(本当は少し緊張していた筈だが)手術室に入って約分、私はその前で待っていた。何か声が聞こえたと思ったら先生が出てこられた。手術は終わったのだ。声をかける間も無く先生は、手術室を後にした。その表情を私は広い廊下の端から確実に捉えた。穏やかな表情の中に確信のある表情とうっすらと浮かべた優しい笑顔を。
その時、私の妻は新しい誕生日を頂いた。佐賀医大病院・変わった名前の先生・こころ優しいスタッフ・同病棟の皆さんから。冒頭に述べた両足の手術を終え、リハビリも済んで目出度くいざ退院の日、妻は言ったもう少しここに居たいと。