早期退院・早期社会復帰
-患者たちのプロジェクトX:無謀な挑戦者たち-
最近の医療現場では、もはや常識だとさえいわれる早期退院・早期社会復帰。
今回はその普及に貢献することとなった、無謀な挑戦者たちの物語である。
挑戦者その1 :無断外出する男性
約20年前、私が九大にいた頃の話である。
アルコール性大腿骨頭壊死の診断で入院した、20代半ばの男性がいた。
若気の至りか左手小指に名誉の負傷(?)を負っており、主治医の言うことをほとんど聞かない患者だったが、それでもどこか憎めない人柄ではあった。
大腿骨頭回転骨切り術を受けてから3週目のある日のこと、突然彼の姿が病棟から消えた。
探しあぐね、周囲が途方にくれていた頃、どこからともなく車椅子で現れた。
「病院の周りを車椅子で散歩していた。」とのことであった。
まだ歩行許可は出ていなかったし、当時は6週目になってからの両松葉杖歩行が一般的だったから、誰もそれ以上は疑わなかった。
翌日、驚愕の真相が明らかになった。
博多の中心街、天神を片松葉杖で闊歩している彼を病棟の看護師が目撃したというのである。
彼は異例の早さで退院したが、それ以降、病院で監視の目が厳しくなったのは言うまでもない。
挑戦者その2 :泣き虫の女性
骨盤側の骨切り術を受けた20才過ぎの女性は、経過が順調だったこともあって術後3週で内科病棟に転棟となった。
しかし、彼女は慣れない内科の病棟で一晩泣き明かした挙句、早くも翌日には退院してしまった。
後で聞くと「周囲が皆病人だったから、怖くなった。」のだそうである。
整形外科に入院していた彼女にとって、病気に悩む患者の多い内科の雰囲気はなじめないものだったのだろう。
とはいえ、当時の基準ならば5週目に退院するはずの彼女が、わずか3週目にして退院してしまったのである。
前代未聞の出来事だった。
周囲はその無謀を心配したが、その実彼女は、退院の翌日には整形外科病棟の「病人でない」患者さんの見舞いに訪れるほどに回復していたのだ。
これを契機に、医師たちは手術のやり方を少し変えざるを得なくなった。
挑戦者その3 :競争する患者たち
7月中旬から8月にかけ、特に女子中学生、女子高校生に多い。
彼女らがおとなしいのは手術の前日と当日の2日間だけである。
手術前日の試験前のような緊張した顔、術後の健気に痛みに耐えている姿には同情したくなるが、この2日間を過ぎればむしろ憎らしいほどに元気である。
彼女らは術後10日を過ぎると、冒険を始める。こともあろうに誰が最短で杖なしで歩けるか、退院できるかを競いはじめるのだ。注意すればするほど助長し、まるで修学旅行で枕投げでもしているかのような調子である。
始末の悪いことにこの現象は若い患者達だけに止まらず、人工関節手術を受けた50代、60代でも程度の差こそあれ変わらない。
これらの暴挙に耐えるべく、医師たちは術式への改良と夜間の見回りを迫られ、また骨切り術では原則3週間の入院を義務付けることになった。
挑戦者その4 :忙しい仕事人間
以前は、のんびりとリハビリをして、完全に治ってからでないと、退院したがらない方がほとんどであった。
現在でも女性の中には上げ膳下げ膳を満喫している方もいるが、ほとんどの男性患者は一日でも早い離床と歩行開始、トイレ、電話、タバコなどを希望している。
特に忙しい仕事人間は一日でも早い退院を望み、自主的に超早期のリハビリに励む。入院中に1万歩の歩行を成し遂げた強者もいた。
彼らの陥りやすい罠は脱臼である。早くから杖なしで歩けることを自慢し、いいところを見せようとした挙句の脱臼。特に早期退院の男性の脱臼率は高い。
ちなみに、これまで最短で退院した人工股関節の患者は術後6日目である。
彼らのために医師たちは「より脱臼しにくい人工股関節」の開発にも着手している。
我々医療者がこの分野で成し遂げた輝かしい進歩や発見は、これらの患者さんの数々の偶然や無謀な冒険によるところが少なくない。
しかし。
過度の犠牲と迷惑は、正直勘弁願いたいものである。
今回はその普及に貢献することとなった、無謀な挑戦者たちの物語である。
挑戦者その1 :無断外出する男性
約20年前、私が九大にいた頃の話である。
アルコール性大腿骨頭壊死の診断で入院した、20代半ばの男性がいた。
若気の至りか左手小指に名誉の負傷(?)を負っており、主治医の言うことをほとんど聞かない患者だったが、それでもどこか憎めない人柄ではあった。
大腿骨頭回転骨切り術を受けてから3週目のある日のこと、突然彼の姿が病棟から消えた。
探しあぐね、周囲が途方にくれていた頃、どこからともなく車椅子で現れた。
「病院の周りを車椅子で散歩していた。」とのことであった。
まだ歩行許可は出ていなかったし、当時は6週目になってからの両松葉杖歩行が一般的だったから、誰もそれ以上は疑わなかった。
翌日、驚愕の真相が明らかになった。
博多の中心街、天神を片松葉杖で闊歩している彼を病棟の看護師が目撃したというのである。
彼は異例の早さで退院したが、それ以降、病院で監視の目が厳しくなったのは言うまでもない。
挑戦者その2 :泣き虫の女性
骨盤側の骨切り術を受けた20才過ぎの女性は、経過が順調だったこともあって術後3週で内科病棟に転棟となった。
しかし、彼女は慣れない内科の病棟で一晩泣き明かした挙句、早くも翌日には退院してしまった。
後で聞くと「周囲が皆病人だったから、怖くなった。」のだそうである。
整形外科に入院していた彼女にとって、病気に悩む患者の多い内科の雰囲気はなじめないものだったのだろう。
とはいえ、当時の基準ならば5週目に退院するはずの彼女が、わずか3週目にして退院してしまったのである。
前代未聞の出来事だった。
周囲はその無謀を心配したが、その実彼女は、退院の翌日には整形外科病棟の「病人でない」患者さんの見舞いに訪れるほどに回復していたのだ。
これを契機に、医師たちは手術のやり方を少し変えざるを得なくなった。
挑戦者その3 :競争する患者たち
7月中旬から8月にかけ、特に女子中学生、女子高校生に多い。
彼女らがおとなしいのは手術の前日と当日の2日間だけである。
手術前日の試験前のような緊張した顔、術後の健気に痛みに耐えている姿には同情したくなるが、この2日間を過ぎればむしろ憎らしいほどに元気である。
彼女らは術後10日を過ぎると、冒険を始める。こともあろうに誰が最短で杖なしで歩けるか、退院できるかを競いはじめるのだ。注意すればするほど助長し、まるで修学旅行で枕投げでもしているかのような調子である。
始末の悪いことにこの現象は若い患者達だけに止まらず、人工関節手術を受けた50代、60代でも程度の差こそあれ変わらない。
これらの暴挙に耐えるべく、医師たちは術式への改良と夜間の見回りを迫られ、また骨切り術では原則3週間の入院を義務付けることになった。
挑戦者その4 :忙しい仕事人間
以前は、のんびりとリハビリをして、完全に治ってからでないと、退院したがらない方がほとんどであった。
現在でも女性の中には上げ膳下げ膳を満喫している方もいるが、ほとんどの男性患者は一日でも早い離床と歩行開始、トイレ、電話、タバコなどを希望している。
特に忙しい仕事人間は一日でも早い退院を望み、自主的に超早期のリハビリに励む。入院中に1万歩の歩行を成し遂げた強者もいた。
彼らの陥りやすい罠は脱臼である。早くから杖なしで歩けることを自慢し、いいところを見せようとした挙句の脱臼。特に早期退院の男性の脱臼率は高い。
ちなみに、これまで最短で退院した人工股関節の患者は術後6日目である。
彼らのために医師たちは「より脱臼しにくい人工股関節」の開発にも着手している。
我々医療者がこの分野で成し遂げた輝かしい進歩や発見は、これらの患者さんの数々の偶然や無謀な冒険によるところが少なくない。
しかし。
過度の犠牲と迷惑は、正直勘弁願いたいものである。